はじめに
小野坂東氏(通称トンさん)が2026年5月29日に亡くなられました。93歳でした。日本のマジック界にとってこれほど大きな打撃はありません。ここでは通称のトンさんの名前で書かせて頂きます。トンさんはマジックのイラストレーターであり、マジックランドのオーナーであり、クリエーターでもありました。マジックランドの商品の考案や制作以外にも、多くの本や雑誌の発行や編集にも関わっています。さらに、数々の催しのプロデューサー・コーディネーターでもありました。日本だけでなく海外からも多数の名誉ある賞を受賞され、数々の役職にもついておられました。
まず最初にトンさんと言えば、世界中のマジシャンに知られたマジック・イラストレーターであったことです。しかも世界でトップと言われています。装飾しすぎず、方法や現象が理解しやすいイラストでした。海外で発行された高木重朗氏の本だけでなく、ポール・ガートナー、トム・マリカ、ダーウィン・オーティス、ドュビビエの本のイラストも描かれています。高木重朗氏は1950年代後半から日本のマジックレベルを一気に向上させましたが、高木氏の本や解説のイラストのほぼ全てをトンさんが描いていました。1956年12月からは日本奇術連盟の月刊の奇術界報の編集を1976年9月までの約20年間続けられました。驚くべきことが、これら全てが無報酬であったことです。日本のマジックを世界レベルにするために、マジックへの愛情と情熱で継続されました。
1980年代からは、マジックを本からだけでなく、一流のマジシャンを実際の目で見て交流する重要性へ方向転換されます。海外へ出向き、そこで見たトップレベルのマジシャンを日本へ招きます。1982年から毎年開催された箱根クロースアップ祭や、1984年から90年まで開催の日本クロースアップ大賞も毎回数名の海外ゲストを招いています。それに続く1991年からの厚川昌男賞コンテストにも海外ゲストを招いていました。それだけでなく、1980年代後半から次々と開催された大規模イベントでも、多数の海外ゲスト来日にトンさんが関わっていました。トンさんが関わるイベントであれば参加を望む海外ゲストが多くなります。それほど、世界中のマジシャンから慕われていました。
トンさんに関しては、2019年12月にMN7(マジックネットワーク7)より発行された152ページもある「小野坂東氏の業績研究」に詳細が報告されています。この著書を読まれることを最もお勧めします。このコラムではその著書以外のことを中心に報告させて頂きます。特に2019年の著書発行時のトンさんの講演や、その1年前の公益社団法人「日本奇術協会」での講演、そして、私が最近になってトンさんと個人的にお話しした時に強く印象に残ったことを中心に報告します。一般的に知られているトンさんの業績内容とはかなり違った報告になると思いますのでご了承ください。まずはトンさんと私との関係から報告させて頂きます。
小野坂東氏と私
1976年にマジックランドを創業されて、すぐに私はランドを訪れています。私は大阪に住んでいますが、その後も年2回は訪れていたと思います。初めの頃のウソのような笑い話があります。マジックランドでの客への対応はママさんが中心です。トンさんは別の部屋で作業されているか外出しています。私がランドを訪れてママさんと話をしているとトンさんがドアを開けて入ってきます。「どちらから来られたの」と尋ねられて「大阪からです」と答えます。すると「宮中くんだね」と言われるので「石田と言います、ジョニー広瀬さんから指導を受けています」と挨拶します。2回目にランドを訪れた時も、途中でトンさんがドアを開け入室され、同じ会話の繰り返しになります。「どちらから来たの」「大阪です」「宮中くんだね」。するとママさんから「違うわよ、石田さんよ」と言ってもらえます。3回目にトンさんとランドでお会いした時も同じ会話の繰り返しとなりました。トンさんは大阪のジョニー広瀬さんとお話をする機会があり、大阪には宮中と言うすごい若者がいることを話されていたのだと思います。1973年~74年頃の大阪阪神デパートの広瀬氏の売場をひっきりなしに訪れて、急成長していた怪物がいたからです。その宮中氏は21世紀に入り仕事の関係で関東に単身赴任されますが、トンさんと二人でお酒を飲むことが常態化する関係となります。葬儀は家族葬でしたが、宮中氏とヒロ・サカイ氏も参列し火葬場まで行かれて見送られたことを聞きました。私の場合は、1982年から2019年まで毎年開催の箱根クロースアップ祭や、1984年から90年まで開催された日本クロースアップ大賞、そして、1991年から開催の厚川昌男コンテストの全てに参加しています。最高級の場所でトップクラスのゲストが観れるので参加せずにはおられません。収益よりもマジック界発展に尽くされていることが伝わってくる素晴らしい催しです。毎回、大きな赤字ではないかと心配もしますが、楽しくて元気をもらえます。なお、私がトンさんと二人だけでお話しするようになるのは2019年以降となります。
歴史ある日本の奇術文化の国内外へ向けての活動
2018年2月5日には、日本奇術協会にてトンさんの特別講演がありました。これは是非受講すべきだと思いました。その講演の中で、日本にはマジックの歴史があり、日本独自のマジック文化があることに誇りを持つことを話されました。そのためにも河合勝・長野栄俊共著「日本奇術文化史」を協会員全員が読んで感想文を書くことを提案されました。優れた感想文にはトンさんが賞金を出すとまで言われました。奇術の歴史には、かなり以前から興味を持たれており、1989年11月にアメリカのロスで開催された第1回目の歴史の大会にも参加されています。1991年の第2回には日本の奇術歴史研究家の山本慶一氏を説得して講演をお願いしています。日本の江戸時代には驚くほどの多数の手品文献が発行されていたことにより、参加者全員をビックリさせていました。さらに、金輪(リンキングリング)の解説や日本独自の手品が絵画で分かりやすく解説されていることも衝撃的であったようです。マックス・メイビンさんやスティーブン・ミンチさんが、この素晴らしい歴史事実を英文で世界に知らせることに協力するとまで言わせています。ところが、残念なことに山本慶一氏の癌が進行しており1993年には亡くなられ、世界へ向けての活動が中断することになります。21世紀に入り、松山光伸氏により江戸から明治にかけての日本の手妻師の活躍が英文で次々と報告され話題となりました。そして、トンさんは東京大学歴史学研究所の研究員として来日されていたDan Sherer氏と交流し、1764年の「放下筌」を英訳してもらうことになります。その英訳本を2015年にはマジックランドより発行されました。「放下筌」は江戸時代の手品本の代表とも言える書籍で、金輪やお椀と玉も解説されています。この英訳本を元にして2016年5月のGenii誌にマックス・メイビン解説で34ページにわたる特集が掲載されました。このことにより、日本のマジシャンよりも、海外のマジシャンや研究家の方が江戸手品に詳しい状況になりかねません。海外マジシャンから日本の手品の歴史のことを聞かれて何も答えられない屈辱を味わうことがないよう懸念されたのかもしれません。日本の奇術歴史を知る上でも「日本奇術文化史」を読まれることに期待されたのだと思います。
日本のマジック界への期待
上記の2018年の日本奇術協会での講演で、世界の中でも日本だけがマジックバーが発展しており、100以上もある特徴を報告されました。問題は日本ではマジック独自の劇場が発展せず、造っても直ぐに潰れたことです。ドイツでは多数のマジック劇場があると報告されました。また、日本では各種の専門分野がそろったマジック集団が組織化されていない点にも触れられました。マジシャンだけでなく、演出、音楽、考案、道具製作などによる集団です。2019年12月15日には「小野坂東氏の業績研究」の発行とトンさんの講演がありました。飲み仲間の宮中さんが聞き手で、ニセモノのビールジョッキを置いてトンさんの昔から現在を語られました。この方法が話しやすかったようです。トンさんが関わったマジック界の変遷とマジックに関わる人との出会いを中心に語られました。そして後半は、多くの方からのトンさんへの質問に答えられ、さらに若い人と話をしたいとのことで若者に前へ出てもらい質問に答えられました。若者からの「どうすればマジック業界がもっと盛り上がるのか」の質問に対する回答が「スターが必要かな」と答えられました。そして、君が将来にスターになるかスターを作って下さいと託されていたことが印象的でした。思い返せば、1980年代より学生マジックの活動を支援されてこられました。下田結花さん編集の「MAGIC NEWS」を1985年にマジックランドから季刊で発行を続けられました。ニューヨークのアダム・フレッシャーが中心となり日本の若者が協力した1986年の「ニューヨーク・マジック・シンポジウム東京」や、1993年の「マジック・ユニバーシアード横浜大会」も協力されていました。そして、ネット社会へのマジシャンの活躍にも触れられました。ネットを通しての世界への活躍には、今後の若い世代に期待されている様子でした。2025年6月21日にはSEACA(東アジア奇術研究会)主催で「ラウンドテーブル2025」が開催され、トンさんも出演されました。昭和元年から100年が経過し、これまでの歴史を振り返る内容でした。その中でトンさんは、1994年の横浜FISMがアジアの時代への転換期であったことを強調されました。アメリカやヨーロッパでは歴史の大会が開催されていますが日本でも開催されることを願望され、その場合には日本だけでなくアジアからのゲストを招いて行うことを強調されていました。
2019年以降のトンさんの話から
2019年のマジクランドにてトンさんから久世喜夫著「奇術教本」を見せて頂きました。最近になって高木重朗氏の蔵書を譲り受けられた中にあったものです。トンさんは久世喜夫氏や奇術教本の存在を知ってとても驚かれていました。大阪の久世喜夫氏は1934年から36年にかけて「奇術教本」をA~Gの7冊を発行され、その時には既にIBMの会員になっていたことも驚きです。1926年の「ターベル・システム」の通信講座やその他の解説を元にして制作された日本版「ターベルコース」と言えます。「6枚ハンカチ」が日本の文献で最初に登場するのがこの教本です。「同情ハンカチ」の名前になっています。この教本の制作に協力されたのが松田昇太郎氏です。妹さんがロスに住われており、昭和初期からマジック書籍や商品を取り寄せられていました。その後は日本奇術連盟の相談役になっています。お二人以外でこの奇術教本を手に入れられたのが、その後、日本奇術連盟会長となる長谷川智氏だけでした。戦前の大阪を中心にした活動のことや久世喜夫氏の存在が全く知られていなかったことがトンさんには驚きが強かったようです。その後にトンさんがよく言われるようになるのが「マジックの作品解説は十分に紹介されている。それよりも、現代の日本のマジックの基盤作りに貢献された人物のことをもっと調べて書物に掲載したほうがよい」と語られていました。私は分かる範囲で久世喜夫氏や「奇術教本」の作品の出典について調べてトンさんに報告したのを思い出します。また、大阪の戦前や戦後に貢献された人物のことを調べてほしいと託されました。しかし、多くの方が亡くなられており、資料が少ないのであまり前進していない状況です。日本の奇術の歴史や人物については、河合勝氏や長野栄俊氏、さらに若手では和泉圭佑氏や森下洋平氏がトンさんの思いを受け継がれているかのように調査研究を続けられています。さらにMN7では小野坂東氏の業績研究だけでなく、石田天海氏について、蓮井彰氏とビデオコレクション、島田晴夫氏について、奇術史などの研究発表を行っています。2026年9月21日には江戸東京博物館小ホールにて「マジックと子ども」のテーマで講演会を予定しています。トンさんを含めた数名の重鎮による企画運営がMN7であり、トンさんの助言も受けて日本のマジック界のために様々な活動を実現させている素晴らしさを感じています。トンさんが亡くなられたことが残念でなりません。
おわりに
トンさんは日本の奇術界だけでなく、アジアや世界に向けても貢献されていましたので、このコラムでは一部のことしか報告できませんでした。また、発行された書籍や雑誌、イラストを書かれた文献は数が多くてここでは掲載しませんでした。このコラムでは私が特に印象に残っていることを中心に報告させて頂きました。最後にトンさんの経歴について掲載しますが「小野坂東氏の業績研究」を参考にしました。しかし、かなり短くまとめた内容になっていますので詳細については、是非、「小野坂東氏の業績研究」を読まれることをお勧めします。経歴には書きませんでしたが、トンさんは多くの活動と業績をあげられました。それが可能であったのは、ママさんやサトシさんの支えがあってのことで、トンさんは感謝されていたと思います。トンさんのご冥福をお祈りいたします。
小野坂東氏の経歴
1933 4月14日誕生
1949 マギー信沢氏と出会う
1950 高木重朗氏と出会う
1951 区役所に勤務
1952~55
日本奇術連盟に入る
新橋ベーカリーで様々なマジシャンと出会う
デザインを学び、グラフィックデザイナーの仕事も行う
都庁勤務に
1953 TAMC青年部に入会するが、その後退会
1955以降 高木重朗氏に協力し編集やイラスト作業が開始される
1962 ママさん(節子さん)と結婚
1969 都庁を突然退職し金沢文庫に転職
1976 マジックランド創業
1977 日本奇術連盟退会
1981 第14回石田天海賞受賞
1984 Academy of Magical ArtsよりAward of Merit受賞
1994 Academy of Magical ArtsよりSpecial Thanks Award受賞
1996 日本奇術協会賞受賞
2007 FFFFよりGuest of Honor受賞
2015 Academy of Magical ArtsよりLifetime Achievement Fellowship受賞
2019 MN7より「小野坂東氏の業績研究」が発行
2026 5月29日死亡